あやうく一生懸命生きるところだった【自然体で生きようと思える一冊】

頑張ってるのに行き詰まりを感じる方へ。肩の力を抜ける一冊です。

韓国生まれの小説で、日本でもバズ。日本でも売れやすいように設計された本だと思います。

共感できる部分も多いので、引用しつつ紹介します。

根を詰めて働いたわりにたいした成績を得られなかった一方で、適当にやった仕事が好成績を収めたような経験は、誰しも一度はあるだろう。

努力はするけど成功するかは不明。ダメだったら方向転換するだけ。

公務員試験に四浪したあげく自殺したという青年のニュースを耳にした。どれだけ思い悩み、苦しんだことか。たった一つ、この道だけが唯一野道だと信じた瞬間、悲劇が始まるのだ。

どうせ挑戦しても失敗する。それなら軽い気持ちで進み、ダメなら方向転換。海にはたくさんの魚がいる。チャンスも人生も同じ。枝分かれは無限にあります。

道は絶対一つではない。そして信じて進んだその道が、歩んでみると思い描いたものではなかった、ということも実に多い。だから、「絶対あきらめるな」という言葉が嫌いだ。命以外なら全部諦めたってていいとすら考えている。

実際に走ってみると理想と現実は異なります。でも異なった未来を生きてみるのも悪くないし、意外と好きになれる。

今、僕らに必要なのは、努力よりも勇気のようだ。それは、たとえ無謀でもチャレンジできる勇気、そして適切な時期にあきらめられる勇気のことだ。

人生とは自分の思い通りにならないどころか、どんなに思い悩んで何かを選択しても、その選択自体が無意味になる瞬間があるという事実だった。目標に向かって必死にボートを漕いでいたのに、大きな波にのまれて想定外のところに押し流されたような、そんな気分だ。僕らは人生を望み通りに進められると信じているだ、たった一度の波にさらわれる、か弱い存在なんだ。きっと。

先日に「旅企画」を考えつつ思いました。希望者が8名くらいだったので、全員が楽しめるプランをイメージして行き先を考えました。しかし蓋を空けてみたら大半の人は参加できず。計画は水の泡になった。準備しても、結局は思い通りにならない。

階段のすべてを見ようとするな。ただ最初の一歩を踏み出せ。 ー キング牧師

絵を描いていると、だんだん指が委託なってくる。理由は自分でもわかっている。絵に集中するあまり、必要以上にペンを強く握りすぎているのだ。たまに指がつるなんてこともある。鉛筆を強く握ればうまく描けるのかって? とんでもない。むしろ逆だ。線が硬くなり、思うように描けない。あまりに筆圧が強いので、消しゴムで消しても鉛筆の線がくっきりと残るほどだ。

うまく描くコツは、手の力を抜くことだ。落とさない程度の軽い力で鉛筆を握れば、もっとうまく描ける。もちろん最初は軽く握って描き始めるのだが、無意識のうちにだんだん力んでくる。理由はわからない。だから僕は絵が下手なのだろう。でも力まないで絵を描くのは、簡単に見えてとても難しい。うまくやりたい、失敗したくない。こんな気持ちから、つい力が入ってしまう。

力むということは柔軟ではないということ。恐れがあるということだ。これまで何事も力みすぎて、うまくいったためしがない。絵も、歌も、スポーツも、たぶん人生もそうかもしれない。僕の人生がこんな調子なのも、あまりに力みすぎたせいではないか? 肩に力が入りすぎて凝り固まっているのかも? 僕らは、力まずには生きられない。力を抜けば倒れてしまうと思い、さらに力む。恥ずかしいが、僕も怖くてずっと力を抜くことができなかった。

力を抜くとはつまり、リラックスして、柔軟で、自然体で、欲を出さないこと。それができず、今までの人生を必死に生きてきた。

大人は、もう少し欲望に正直になる必要がある。遊びたいなら遊べばいい。大義名分はそれから作ればいいのだ。

この文章を見て「夏休み企画」を確定して実行しました。楽しい企画を考える。その後に「実行すべき理由」を考えたらいい。

100歳時代とはつまり、定年後に30年、40年と時間があるということ。体力は衰えるが、新しいことを習って匠を域に到達できるほど、十分な時間がある。写真を勉強すればカメラマンにだってなれるだろうし、普段から愉しんでいるワインを勉強してソムリエになることもできるだろう。

寿命が伸びたので、ゆっくりと色々なことを学べる。焦るには長すぎる人生。

君が何かにトライするとき、すべてのことが君を試す。君がどれだけ本気なのかを。たとえ拒絶されたとしても、それをやるのかを。 ー Factotum

本当にその通り。挑戦の過程では「親ブロック、昔の友人と疎遠、ビジネスパートナーとの問題」などなど。大量に発生する。自分が試されている。

200万ウォンを稼ぐ人間が500万ウォンを稼いだところで、お金の問題は解決しない。年俸が1億ウォンを超えていても、お金が足りないと嘆く人もいる。たぶん、お金のために自由を後回しにし続ければ、僕らは一生自由になれない。

年収400万円でも、年収500万円でも、大差ない。どんぐりの背比べをしているだけ。

かく言う僕の人生がまったく不安じゃないとは言い切れない。たびたび不安になる。だけど他人より遅れているという不安は特にない。どのみち、のんびり型だから。そう考えて、あえてゆっくり進んでいたら、前を行くみんなの背中がみるみるうちに見えなくなり、コースがわからなくなってしまった。そんなわけで、みんながどこへ進もうが、ただ自分の道を歩んでいくしかない。おかげで、他人よりリードしているだの、遅れているだのという比較自体が無意味になった。

自分へ:自由を目指して生きてきたのに、なぜ他人の背中を気にする?

以上です。良書でした。こういった本は、定期的に読みたいとも思えます。肩の力が抜け、また無理せずマイペースで頑張ろうと思えます。

» あやうく一生懸命生きるところだった (著:ハ・ワン)

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