ギケイキ:圧倒的に面白い、歴史小説。人間の”本質”と”経済”を学べる
本の概要
千年の時を超え、私は、私の物語を、語ろうと思うー私の名は源義経。打倒平家を胸に、都会的なファッションに身を包み、早業を駆使。鞍馬での幼年期から奥州への旅。古典『義経記』が超絶文体で現代に甦る!激烈に滑稽で悲痛な、超娯楽大作小説。
読んでみて思ったこと
先日に「告白」という小説を読んだのですが、それと同じ著者です。
僕の場合は「面白い小説を見つける → その著者の本を読みまくる」というスタイルなので、自然と今回にレビューをする「ギケイキ」にも辿り着きました。
結論として、、本当に面白い。著者は「町田康さん」ですが、この方の「歴史小説」は、群を抜いて面白いと思いました。
内容は「源義経 (みなもとのよしつね )」の人生を解説する小説ですが、物語が本人の視点から語られており、文体も読みやすく、夢中になってしまいます。
面白いだけじゃなく、学びも深かったです。具体的には「人間の本質は、昔と変わらないな」ということです。例えば下記です。
私の父が若い頃、関東に拠点を築くことができたのは、もちろん武芸や気合、といった要素も大きいが、多分にファッションによるところも大きい、と私は分析していた。地方の有力者は武力を持ち、財力を持っている。しかし、あるものを決定的に欠いており、彼らはそれを渇仰している。彼らが決定的に欠いているものとはなにか。それは華やかな生活だ、と私は考えていた。
京都に住む中央貴族は、地方からあがる税収で華やかに暮らしている。それを垣間見た地方の有力者は、俺もあのように華やかに暮らしてみたいものだ、と思って真似をする。ところがやってみると珍妙なものにしかならない。華やかな生活は数代、下手をすると十数代にわたってそうした生活をすることによって初めて実現するものだから。
そんなことで地方の有力者は華やかな生活を渇仰し、また、そうした生活を送る中央貴族に複雑な感情を抱くようになったが、彼らを間近に見ることがあればこれに接近・接触したいという衝動を抑えることはできなかった。というのは例えばいまで言うとテレビジョンに出演する芸能人・有名人と呼ばれる人に近いのかも知れない。都心を歩いておれば、目引き袖引き噂する者もないが、地方に参れば取り囲まれて歩けなくなったりする。
僕はインフルエンサー的な働き方をしてますが、この業界でも同じだと思います。結果を出している人は、自分なりの「空気感」を作ることが上手いです。
そして、その空気感こそが「ブランディング」だと思います。ブランディングがあるからこそ、憧れのような感情が生まれるはず。時代が変わっても、人間の本質は変化しないと思いました。
また、小説を読むことで「政治」にも興味を持ちました。例えば、下記の部分です。源義経が語る部分の引用です。
「わかった。吉次さん。勿論、あなたは私の大事なパートナーだ。そしてあなたの言っていることもよくわかる。じゃあ、ここはあなたの言うとおり、これ以上、人数は増やさないことにしましょう。ただし、三郎君が参加するかしないか、参加する場合はあなたのスタッフをひとり減らしてもらうことになるのですが、それについてはあなたと三郎君に一任します。二人で話し合って決めてください。その結果に私は従います」 つまりは当人同士で決めさせ、私は決定に関与しない、ということにしたのだ。これなら面倒くさくない。
ちょっと伝わりづらいかもですが、要するに「源義経=駆け引きが上手い」ということで、駆け引きが上手いからこそ、人を動かせる訳ですね。
これはビジネスの世界でも同じだと思っており、基本的に「自分の利益だけを最大化する」といった行動を続ける人は、僕の見る範囲では「大成」しないように思えます。小さく成功しても、その後に失墜する場合が多い。
逆に「自分の利益も高めつつ、同時に周りにも還元する」というスタイルの人の方が、スタート時点での伸びは遅かったとしても、後々に大きく成功していったり、もしくは友人に囲まれて、幸せそうに生きているパターンが多いです。
スイマセン。レビューが長くなっているのですが、最後に1つ。
僕は「三國無双」だったり「戦国無双」といったゲームが好きだったのですが、 武将達が戦うときに、必ず「名乗り」を上げます。
ゲームをしつつ僕は「まぁ、これはゲーム内の世界の話だろう」と思っていたのですが、それが現実だったことを知り、驚きました。
要するに「武将達は戦う前に、名乗り合う → 誰を倒したかが明確になり、戦争後に確実に報酬を獲得できる」という仕組み。要するに「経済」が働いていた訳です。
こんなこと、学校の授業では習わなかったので、驚きました。こういった事を授業で学んでいたら、僕の歴史の成績は、大きく向上していたと思います。しかし学校の授業は退屈だったので、歴史の点数はボロボロでした。
レビューを終える前に、、この小説を読むことで、歴史に興味を持ちました。
本書では「源家」を中心に描かれていますが、読了後には「徳川家は、果たして、どのように日本を統治したのか?」が気になってきたので、なにか本を探そうと思っています。
徳川家に関する小説で、面白い作品を知っている方がいましたら、ぜひ「Twitter」から教えてください。以上です😌🙇♂️
※補足:この小説は「義経記」がベースになっており、この本は「室町時代に書かれた、源義経の自伝」です。つまり内容にも正確性があるので、面白いだけじゃなく、歴史の学びにも繋がります。
僕のハイライト
自分を嫌っている奴の邸宅に住んでいられるのは、その早業ゆえだが、もっとも早業を使ったのは最初のうちだけで、暫く住むうちにあまり早業も使わなくてよくなった。というのは、最初に案内したガキとかもそうだが、邸宅の使用人の殆どが私のファンになったからだ。というのも無理はなく、なにしろ私は源氏の御曹司だし、奥州では苦労をしたがここは京都、私のファッションやダンス、音楽のセンスなどが渋いことはみなわかって、私に憧れ、私はすっかり人気者、みんな私の姿を邸内で見かけると喜び、なかにはこっそりサインをねだるものもあるくらいで、法眼に告げ口する者などひとりもなかったのだ。
いまの理屈で考えれば、単に夢に明神様が出てきた、というだけの話なのだが、あの頃は、明神とかそういうものは実在していたので、兵衛佐殿のこの話を聞いて、みんなは、ああ、よかった、と思った。というか、みんなにそう思わせようと思って頼朝さんはそんな話をしたのであり、なぜかというと付き従う者が、ずーっとネガティヴなことばかり言っていて、それをやめさせたかったからだろう。(※補足:士気を高めるために嘘をついた話)
そんなことで多くの武士が頼朝軍に参加して、相変わらず、在庁官人を脅し、言うことを聞かない奴は殺したりしながら、さあそろそろ根拠地を構えよう、どこがいい? やっぱし累代の根拠地である鎌倉がよいでしょう、ということになって鎌倉に向かい、治承四年九月十一日、千葉県松戸市付近、市川というところにいたる頃には総勢十九万騎という途轍もない大軍になっていた。先月の二十八日、小舟で逃げてきた数名の頼朝軍が、二週間かそこらに二十万近くに膨れあがったのである。なんちゅう源氏の勢威だろうか。時の勢い、流れ、というのは昔も今もおそろしいものである。(※補足:直前までは源氏の勢力が消滅しかけていた)
私は敷皮の上に座って将軍たちと談笑する頼朝さんの姿に胸を打たれた。都育ちの貴人である頼朝さんに獣皮の上に座る習慣はない。私ですら秀衡君のところで獣皮の上に座らされることはなかった。だから頼朝さんは本当のことを言うと、獣皮の上ではなく、畳の上に座りたかったはず。にもかかわらず頼朝さんが獣皮の上に座っていたのはなぜか。 居並ぶ関東の大名小名に気を遣っていたからである。というといンまの人は、え、なんで? 頼朝さんは源氏の正統で武家の棟梁じゃねぇの? そんな気を遣う必要なんてないじゃん。と思うだろう。ところがそうじゃない、あの頃、っていうか、その後もずっとそうだったけれども、頼朝さんの立場は安定的なものではなかった。というのは、みんながこうやって参陣しているのは、口では昔からの恩義・恩顧とかいろんなことを言っているが、実際は違って、そうすることによって自らの権利を守ることができると思うからで、もし自分の権利が侵害されるとわかったら理念とか理想とかは一切なく簡単に背く。それは直接的に頼朝さんに背くこともあるだろうが、可能性がもっとも高いのは陣中での争いで、例えば秩父の御連中と上総介広常が喧嘩になり、どっちの言い分が正しいか間違っているか、頼朝さんに決めて貰おう、ということになった場合、頼朝さんはどうしようもない。広常の味方をすれば秩父の奴らが背くし、秩父の党類の味方をすれば激怒した広常が敵方につく。
どういうことかというと、まず、とにかく頼朝さんは私を有罪にしたかった。で、最初、頼朝さんは裁判で私を有罪に持っていける、と考えていた。ところが諸人の噂を聞き、無茶を言っているのは梶原の方で私は無実、と知り、これに有罪判決を出せば世論の批判を浴びると考えた。そこで。これは完全に私の推測だけれども、梶原が起請文を出したのは頼朝さんに言われてのことだと思う。 「おまえがもし噓を言っていないというのなら起請文を出せ」 「え、そこまでしないと駄目ですか」 「え、出せないの? ってことは僕に噓を言ってたってことかな」 「そんなことはありません」 「じゃあ、出せよ」 「わかりました。出します」 みたいなやり取りがあり、梶原が起請文まで出した。よって梶原の言っていることは真実。もし噓だったら梶原は頼朝ばかりか神々までをも騙したことになり、悪いのは梶原で、梶原は神々によって裁かれる、という理屈をつけたのではないか。 つまり、ちょっと前から私が邪魔になってきた頼朝さんは、ついうっかり私に対する不満をぶちまけた梶原を、「あ。こいつ。ちょうどいいや」と利用し、その結果、梶原は冥顕の罰を間違いなく受ける、というとんでもない立場に追い詰められたというわけだ。はは、おもろ。
そんな悲惨な武者死体が瞬間的に五つもできて土佐勢は怯え、逃げたいと思った。というと不思議に感じるだろう。なんでって、相手はたった一人、しかも騎兵ではなく歩兵で、馬に乗ったまま一斉に押し寄せて踏みつぶせば容易に制圧できるのだから。けれどもその一瞬の間に喜三太の人間とは思えない射撃の技術によって間違いなく何人かは死ぬ。下手をしたら三十人くらい死ぬかも知れない。もし自分がその三十人のうちの一人になったとしたら自分はそのときどう思うだろうか。わーい、制圧できた、よかったなあ。と思うだろうか。思うわけがない。なぜならそのとき自分はもう既に死んでいるからである。ならば、残念だなあ、と思うかというとそれも思わない。なぜなら死ぬとなにも思えないからである。となると、取りあえずは逃げたい、なぜなら逃げた方が得だから。自分は世界にたったひとつの花だから。とその場にいる全員が思う。 将軍として大軍を指揮した立場で言うが、そうなるとまず戦争に勝てない。勝つ戦争をしようと思ったらその場にいる全員に前に出て攻めた方が得、と思わせなければならない。大将というのはそう思わせるためにいるようなものである。
さあ、それで私が門の外に出撃していったかというと当然、そんな阿呆なことはしない。というのは当たり前の話だ。たった一騎で大勢が待ち受ける門外に討って出るよりは、門内で待ち受ける方がよいに決まっている。戦争というものはそうして当たり前の判断ができる者が勝つ。にもかかわらず多くの人がともすれば当たり前じゃない判断をしてしまいがちなのは、あちこちで人がバンバン死ぬという当たり前じゃない光景を目の当たりにして、こんな当たり前じゃないときに当たり前のことをしていたら負けるのが当たり前だと当たり前に思ってしまうからである。なので、上司とかそういう立場の人が当たり前じゃないことをやり始め、異議や疑義を唱える者に、「なにを言う。いまは非常時だぞ。そんな当たり前のことを言っている場合か」なんていいだした場合は、諸共に滅んでしまう可能性が高いのでその上司を殺すか、それが無理ならそっと戦線を離脱した方がよい。
» ギケイキ 千年の流転(著:町田康)そのように慌てた頼朝さんが、普通だったら、「一刻も早く軍勢を率いて進発しよう。そうしないととりかえしのつかないことになる」と焦り、いまやっていることをすべて中断して出発するところ、そうはしないで、そのときやっていたことをすべて完璧に終わらせてから出発したのは、さすがというか、うまいというか、やるなあというか、やられたなあ、って感じだった。 というのはそのとき頼朝さんがやっていたことと関係していて、そのとき頼朝さんは亡き父の遺徳を偲ぶために建立したお寺・勝長寿院の落慶式、すなわち竣工記念行事を執り行っており、これを完全・完璧に終わらせてから出発するから人数を集めよ、と命令を出した。 このことがなにを意味するかというと、そう、亡父の追善のための寺を建てたのは俺、したがって源氏の正統は俺、ということを内外に印象づける。そうすると、その正嫡に逆らった私には源氏の正統という資格がなくなって私の味方をする者が減る、という、わかりやすく言うと源氏の正統アピを行った、ということで、時間との闘いの中でこの判断ができたのはこちらにとっては痛かったかも知れない。
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