最後はなぜかうまくいくイタリア人【人生 = 成り行きに任せる】

ドイツ旅行をした時に、イタリア人との交流がありました。

僕はフィリピンに4年ほど住んだ経験があり、ラテン系の人が好きです。そしてイタリア人からも「似た匂い」があり好感を持てました。

本書の読書レビューを書きます。日本人は学ぶことが多いはず。特に僕のような「真面目な人間」には足りてない思考です。

» 最後はなぜかうまくいくイタリア人(著:宮嶋勲)

人生 = 成り行きに任せる

何もしないで待ち、チャンスが来たらつかむ。人生はなるようにしかならない。悪あがきをしても仕方ないし、むしろ事態は悪化する。物事の進み具合を見ながら、じっと待っていよう。そうすれば何かいいことがあるだろう。そのチャンスをつかまえよう。 このような姿勢を、イタリア語で「Attendismo (待機主義) 」と呼び、自分で人生を切り開こうとしない南イタリアの典型的メンタリティーとして、否定的にとらえられている。

「待機主義」の言葉には笑いました。

イタリアは失業率が10%で、若者の失業率は30%です。その一方で、日本の失業率は2.5%。この差があるのに、イタリア人が「幸せ」を維持しているのはスゴイ。

待機主義は「否定的な価値観」と書かれてるけど、そうは思いません。失業者が多くても「陽気」なのは素晴らしいし、不況や混乱の多い時代では、見習うべき価値観だと思いました。

文句を言っても空気が悪くなるだけ

イタリア側のプロデューサーが、私を隅に呼んで話してくれた。 「イサオ、私の話をよく聞け。たしかにローマで打ち合わせしたことは守れなかった。機材がいくつか届いてなかったことは私たちのミスだ。ただ、そのことをいまここでいくら論じても何も生まない。機材の手配も済んだし、あと2時間で到着する。時間は遅れるが、この撮影は必ず終える。いままでどんな撮影だって、終えなかったことはないんだ。だからカリカリすればするほど雰囲気が悪くなって、うまくいく撮影もうまくいかなくなるぞ。遅れたぐらいでイライラしないで、機材が着いたときにいい絵を撮れるように、リラックスするように日本側に言ってくれ。絶対にいい絵が撮れるようにするから」と。

これは「完全に同意」です。仕事には「ポジティブな空気感」が大切。その方が成果も出ます。研究データもあります。

しかし日本人は「良い空気感」よりも「規定通りに進むこと」を重視します。でも、それって意味ありますか? ビジネスの目的は「結果を出すこと」であって、規定通り進めることではありません。

「18時半に会場を開きます。徐々にお客様が来場されます。19時になったら私が挨拶して、生産者を紹介します。生産者は19時5分から10分間、ワイナリーの紹介をしてください。そのあと乾杯です。20時にパスタが出たタイミングで最初のワイン3つを説明してください。21時15分にデザートのサービスが終わった段階でテーブルをまわってください。21時40分に締めのあいさつをお願いします」といった具合である。  イタリア人の生産者は真剣に聞いているふりをしているが、心ここにあらずといった様子であることが私にはよくわかる。彼らの考え方の根にあるのは、「お客様が遅れるかもしれないし、どんな雰囲気になるかわからないのに、細かいことを決めても意味がない」というものである。

上記も日本人にありがちだけど、実は生産性が低いです。来た人が「本当に楽しむこと」が、結局は成功に近づきます。だから柔軟性を持つことは、実は効率的でもあると思います。

最終ゴールは、最初の一歩を踏み出すための北極星

最終目的はあくまで最初の一歩を踏み出す方向を示してくれる北極星のようなもので、醍醐味はその過程、寄り道にあるのである。

これは素晴らしい考え方。新しい挑戦ができない人は先を考え過ぎています。最終ゴールは北極星として、まずは踏み出すべき。

イタリア人は分業をしない

極端な分業は無機質で非人間的な作業を生む。同じレジ打ちでも、近所の人と近況についておしゃべりしながらするレジ打ちは楽しいだろうが、1日何百人分のレシートをひたすら打ち続けることは、孤独でストレスのたまる作業だろう。

本当にその通りだと思う。だから「ボッテガ」のような「上品で職人技のブランド」が生まれたのかなと。1つを極めて綺麗に作るのが好きな国民性とのこと。

イタリア = 複数の国?

ミラノ万博でシチリアの友人と話すと、彼は「私はまずパレルモ人、次にシチリア人、そしてヨーロッパ人、最後にイタリア人だ」と誇らしげに語っていた。イタリア国家は統一されて154年である。だから国家への帰属意識は弱い。まだ愛国心より愛郷心が先なのである。

日本人だと理解しづらい価値観かも。例えば僕が住むタイでも同じです。同じタイ人でも、そこには「山岳民族」もいます。1つの国だとしても、1つの分類では収まりません。

僕のハイライト

このイタリア人プロデューサーの話は、私に多くのことを教えてくれた。 まず第一に、予定表や打ち合わせ通りに物事が運ぶなどと考えるのはイタリアでは大きな間違いで、そんなのはあくまで努力目標のようなものでしかなく、不測の事態が起こることのほうが普通である(まさに「不測」の事態は「予想」できるという矛盾した状態だ)。慌てる必要はまったくないということだ。人生は常に不測の事態の連続で、そんなことにいちいち腹を立てること自体がおかしいという哲学?である。

第二に、そのようなことがイタリア全体で常態化している限り、不測の事態に慌てるというのは愚の愚であり、どっしりと構えて、解決策を見出すことに全力を尽くすほうがよほど大切であるということだ。そこでイライラしても何も生まないし、むしろ事態は悪化する。不測の事態を乗り越えたときによりよい仕事ができる準備をすることこそ、重要なのだ。

そして第三に、どんな不測の事態が起こってもイタリア人は諦めずに、ほとんどの場合は最後になんとかする能力があるということである。子どものころから不測の事態に慣れきっている分、それに対する対応能力が破格に高いのだ。

いつでも重視すべきは、〝成り行き〟 イタリア人は先の計画を立てることが苦手である。とくに 24 時間以上先の予定は立てたがらない。いまを生きること、精一杯楽しむことに夢中になるタイプなので、その事案が終わるまでは、先のことを考える精神的余裕がないのかもしれない。

たしかにイタリアという国は、不思議で、理解に苦しむことが多いが、退屈することだけは絶対にない。合理的だが退屈な人生よりも、訳がわからなくても驚きに満ちた刺激的な人生がいいと思うなら、イタリアはおすすめだ。

イタリアを旅していて、本当にイライラするのは、イタリア人が列をつくれないことだ。1列に並ぶなんてことは最初からできるはずがないが、2~3列に並んでいても、徐々に横に広がって、どんどん割り込んでくる。結局は、列に並ぶ意味がないのである。

» 最後はなぜかうまくいくイタリア人(著:宮嶋勲)


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