11月12日(水):メンタルが死ぬことは怖くない
なぜ、気持ちを隠すのか?
本日は、これを書いてみる。自分のことを隠す人がいる。僕は全てOPEN型なので、全ての人に対し、ただ素の状態で接します。
ちなみにダライラマも同じ。彼は国宝級の人ですが、自分の悩みを家の庭師に話したりしており、心がOPENで有名です。
もちろん、駆け引きが重要な場合もある。例えば国家間の軍事戦略なら、情報の1つが命に関わる。だから隠したり、ポーカーフェイス的な戦略も大切。
でも、大半のケースで、隠してもバレます。
誰かが悩んでいたら、周りが出来ることは「誘う」です。だから僕は、友人が悩んでそうと感じたら遊びに誘ったりします。
しかし出来ることは以上で、こちらから根掘り葉掘り聞くことは出来ません。それだと話しづらいし、話したところで意味がない。
相手の心が開いていない限り、こちらから言葉を投げても、閉じた心に跳ね返されるだけです。だから、まずは自分から開く必要がある。
僕は、たまに隠しちゃってるかもだけど、悩みとか自分の弱さはすぐに公開するし、人に話します。だから都度で回復できる。
旅中とかにも感じますが、友人達と「僕のビジネスモデル」について話し、相談し、議論することが多い。本当に得をしています。
人間の脳はイメージと体験を区別しません。つまり旅中のビジネス議論は、僕の脳がイメージして体験している。だから遊んでいても成長に繋がる。
心を開くだけで、これが自動で発生します。
しかし隠していたら、何も変化しない。
人の悩みなんて、みんなで遊んで、ご飯を食べて、少し散歩や運動をして、あとは笑って酒でも大麻でも吸えば改善する。
しかし最初の条件は「心を開くこと」です。扉が閉まっている限り、こちらの声は届きません。孤立に繋がる戦略は、長期的に人生の可能性を下げます。
以上。友人に向けて書きました。
まだ人生は長いし、いくらでも挽回や旋回できて、自由自在です。こんなことを書きつつ、また僕のメンタルが死ぬかもなので。
しかしメンタルが死ぬことは怖くないです。身近な人に相談し、適切に休み、あとは旅したりで回復できる。回復できると気付けば、不確定要素は怖くないです。おわり。
マナブ