神との対話:僕の人生の「指針」となる一冊

本の概要

全米に衝撃を与え、120万部突破。日本でもブームを巻き起こし、シリーズ累計140万部を突破した伝説的ベストセラー。全知全能の神が、主人公の青年そして、読む人すべての悩みを解決していく人生の教科書、決定版。


タイトルを見て「怪しいな」と思いました。
しかし無料サンプルを読み、完全に惹きつけられました。

ここから書く内容は、公開するか迷いました。 なぜなら、

  • こいつは頭がおかしいのかも
  • スピリチュアル系にハマったか

このような言葉が届きそうだったから。

しかし最近は「AIや粒子力学」の研究が進み、そこで分かることは「今の人間が分かっていること=全くもって全てではない=世の中には解明されていない事ばかり」ということです。

このような情報に触れるたびに、自分の考えを疑って、同時に「論理的には信じられないことでも、それを嘘だと証明することは難しいよな…」と思っていました。

こういった状況の僕が本書を読みつつ、思ったことをメモ的にまとめます。

人生の目的について

僕は昔から「自分は、なんで生きているのだろう?」と思っていました。人生は苦難ばかりだし、日々の勉強も大変だし、将来の不安も尽きない。飛行機に乗るたびに、そこで「落ちてもいいな」と思っていました。

しかし本書を読み、初めて「納得できる考え方」にたどり着きました。

自分が何者だと思うか。そして、何者になりたいと思うか。 これがすべての選択の基準である──これまでも、これからも、すべての人生の選択基準である。

世界に向かって、自分が何者か、何を信じているかを、ためらわず、はっきりと言いきれるなら、あなたは幸せだ。

悟りとは、行くべきところもすべきこともないし、いまの自分以外の何者にもなる必要もないと理解することである。

これからは、全てを受け入れた上で、さらに「自分はどう生きたいのか? どのように反応したいのか?」を軸に生きようと思います。

成りたい自分に成る方法

根になる考え、つまり支えになっている考えをいちばん速く変える方法は、「思考ー言葉ー行為」というプロセスを逆転させることだ。

本書を読みつつ、下記のように実行もしました。

まず、こうありたいと思う考えにもとづいて行動しなさい。それから、こうありたいと思う考えを言葉にしなさい。それを何度も実行していれば、精神の訓練ができて、新しい考え方ができるようになる。

これからも続けていきます。

善悪の考え方について

今までは「〇〇の行動は良くない→なので〇〇の行動をする人は悪い人だ」と自分のモノサシで考えていました。しかしこれだと他人はコントロールできないので、幸せになれません。

大切なことは「全てを受け入れた上で、じゃあ自分はどう生きたいのか?」を決めるだけ。他人は関係ない。これを本書から学びました。

人間の行動は、愛か不安に根ざしている

人間の行動のすべては、愛か不安に根ざしている。人間関係だけではない。ビジネスや産業、政治、宗教、子供たちの教育、国家の社会問題、社会の経済的目標、戦争や平和、襲撃、防衛、攻撃、降伏に影響を及ぼす決断、欲しがったり与えたり、ためこんだり分けあったり、団結したり分裂したりという意思決定、自由な選択のすべてが、存在しうるただ二つの考えから発している。愛という考えか、不安という考えから。

僕の原動力は不安でした。不安だから将来のために行動して、億単位の資産を作れました。しかしそれでも、不安は消えませんでした。

最近は思考を変えており、これからは「もっと広い心を持とう」と思っています。これは本書を読む前から実行していたことですが、すると不安感が消え、体に出ていた不調(例:寝汗が異常に多い、夜中に目が覚める、不眠症)が消えました。

不幸な状況も、受け取り方で変わる

すべての 状況は一時的だ。どんなこともいつまでも同じままではいないし、静止してはいない。どちらの方向へ変わるかはあなたしだいだ。

僕は起業失敗後に、この思考を持てたから回復できました。やっと会社に売上が立ってきて、そのときに仲間割れで会社が潰れました。しかし冷静に振り返ってみると、社内には色々な問題がありました。当時の僕は「失ったことで、次なる挑戦が出来る」と考え、そこから再スタートできました。

人生はつねにあなたの思考の結果だ。 あなたは現在、失業している、自分は失業という状況の犠牲者だと考えている。だが、ほんとうは、もうあなたはその仕事を選択していないのだ。あなたは朝、期待に満ちて目を覚ますのではなく、いやいやながら起きるようになった。仕事が楽しくなくなり、ぐちっぽい気分になりはじめていた。それどころか、何かほかにしたいと夢を見はじめていた。あなたの人生はあなたの意図するとおりに進んでいくのだよ。

上記の引用も、納得でした。このような思考をすると、心が軽くなると思います。

これからの自分の目標に関して

〈真の指導者〉とは、追随者がいちばん多い者ではなく、最も多くの指導者を創り出す者である。 〈真の王者〉とは臣民がいちばん多い者ではなく、最も多くの者に王者らしい尊厳を身につけさせる者である。 〈真の教師〉とは知識がいちばん多い者ではなく、最も多くの者に知識を身につけさせる者である。

自分が稼ぐのではなく、身の回りに稼ぐ人を増やします。個人で生きれるようになると、これほどの幸せはありません。僕は、この領域にコミットし続けようと思います。

お金に対する価値観について

どうしても「お金=汚いもの」という認識が消え去っていませんでした。だからブログにアフィリエイトURLを貼るときに、常に躊躇していました。これを貼ることで信頼が減るのではないか、と。

でも稼ぐことは大切なので、改めて人生の指針をブログに書こうと思いました。指針は3つだけ。社会に貢献する、しっかりとお金を稼ぐ、苦じゃない領域で活動する。

あなたがたの社会全体がそう考えている。だから、教師は薄給で、ストリップの踊り子は大金を稼いでいる。指導者たちの報酬はスポーツ選手にくらべればスズメの涙で、その差を埋めるためには汚職をする。聖職者やラビはパンと水で暮らしているのに、タレントたちには金が降るように集まってくる。 考えてごらん。あなたがたは、本質的な価値のあるものは安く手に入るべきだと思っている。たったひとりでエイズの治療法を研究している科学者は資金集めに苦労し、新しいセックスの技巧一〇〇種類について本を書き、ビデオを制作し、週末セミナーを開く女性は……大金持ちになる。 そんなふうにすべてが逆さまになる傾向があるが、それもみんな考え違いのせいだ。 金について、あなたがたは考え違いをしている。あなたがたは金を愛しているのに、金はすべての悪の根源だと言う。金を 崇めているのに、「汚い銭」と呼ぶ。ひとを「汚い金持ち」呼ばわりする。誰かが「良い」ことをして金持ちになると、すぐに疑いをいだく。それは「おかしい」と思う。 だから、医師はあまり儲けないほうがいい。あるいは、儲けても内緒にしておくことを覚えたほうがいい。 聖職者は──さあ、大変だ! 彼女が大金を稼ぐのは絶対に良くない(あなたが、女性聖職者を認めるとして、だが)。必ず困った目にあう。 あなたは、崇高な天職を選んだものは、誰よりも褒賞が低くて当然だと感じている……。

読書メモは以上です。

» 新装版 神との対話1(著:ニール・ドナルド・ウォルシュ)


僕のハイライト

神の意図を疑い、究極の結果を生み出す神の力を疑っていたら、安らかでいられるはずがない。真の安らぎは感じられない。 神は意図する結果を生むだけの力をもっている。それがあなたがたには信じられない(たとえ、神は全能だと主張している者でも)。だから、あなたは 神に匹敵する力 を想像のなかで創り出し、神の意思が曲げられる方法を探し出そうとする。そうやって、神話のなかで「悪」と呼ばれるものを創り出した。神が(あなたと同じ方法で問題を解決すると考えて)悪という存在と闘っていると想像した。そのうえ、あなたは神がこの闘いに負ける可能性があるとまで想像した。 すべて、あなたがたが知っているはずの神と矛盾するが、それはどうでもいい。 あなたは幻想のなかで生き、そのために不安を感じる。すべて、神を疑おうとしたことから生じているのだ。 だったら、べつの決意をしたらどうか。そうしたら、どんな結果になるか。 それを教えよう。あなたがたは 仏陀 のように生きるだろう。イエスのように生きるだろう。これまで偶像化されたすべての聖者のように生きるだろう。

これらの聖者たちと同じように、あなたは理解されないだろう。あなたが感じる平穏や人生の喜びを、 恍惚感を説明しようとしても、ひとはあなたの言葉だけを聞いて、内容は理解しないだろう。あなたの言葉をくり返そうとして、べつの内容をつけ加えるだろう。 自分たちとは違う何をあなたは発見したのか、とひとは思うだろう。そして嫉妬をつのらせるだろう。やがて、嫉妬は怒りになり、怒りに燃えたひとたちは、神を理解していないのはあなたのほうだと言い負かそうとするだろう。 それでもあなたの喜びを奪うことができなければ、怒りのあまり、あなたを傷つけようとするだろう。かまわない、たとえ死んでも喜びを消すことも、真実を変えることもできないと言えば、ひとはあなたを殺そうとするに違いない。そして、あなたがおだやかに死を受け入れるのを見て、あなたを聖者と呼び、ふたたび愛するだろう。 なぜなら、 いちばん大切なものを愛し、つぎに破壊し、それからふたたび愛するのが、ひとというもの だからだ。

人間の行動のすべては、愛か不安に根ざしている。人間関係だけではない。ビジネスや産業、政治、宗教、子供たちの教育、国家の社会問題、社会の経済的目標、戦争や平和、襲撃、防衛、攻撃、降伏に影響を及ぼす決断、欲しがったり与えたり、ためこんだり分けあったり、団結したり分裂したりという意思決定、自由な選択のすべてが、存在しうるただ二つの考えから発している。愛という考えか、不安という考えから。

不安はちぢこまり、閉ざし、引きこもり、走り、隠れ、蓄え、傷つけるエネルギーである。愛は広がり、解放し、送り出し、とどまり、明るみに出し、分けあい、 癒すエネルギーである。 不安だから身体を衣服で包むのであって、愛があれば裸で立つことができる。不安があるから、もっているもののすべてにしがみつき、かじりつくが、愛があれば、もっているすべてを与えることができる。不安はしっかりと抱えこみ、愛は優しく抱きとる。不安はつかみ、愛は解放する。不安はいらだたせ、愛はなだめる。不安は攻撃し、愛は育む。 人間の考え、言葉、行為のすべては、どちらかの感情がもとになっている。ほかに選択の余地はない。これ以外の選択肢はないからだ。だが、どちらを選ぶかは自由に決められる。

人生とは、 概念として知っていることを体験的に知る機会 だ。 何も学ぶ必要はない。 すでに知っていることを思い出し、 それにもとづいて行動 すればいい。  よく、わからないのですが。  それでは、はじめから説明しよう。魂──あなたがたの魂──は、知る必要のあることはすべて知っている。隠されていることは何もないし、知らされていないこともない。だが、知っているだけでは、充分ではない。魂は 体験 したがっている。 自分が寛大であることを 知っていても、寛大さを示す何かをしなければ、概念にすぎない。 親切であることを知っていても、誰かに親切にしなければ、自意識があるだけだ。 自己についての偉大な概念を偉大な体験に変えたい、それが魂の唯一の望みだ。

地上でのあなたがたの仕事は、自分が何者であるかを 学ぶことではなく(すでに知っているのだから)、思い出すことだ。そして、ほかのみんなが、何者であるかを思い出すことだ。だから、ほかのひとにもそれを気づかせること、思い出すようにしむけることも大きな仕事のひとつだ。 いのちの真実を知っているすばらしい教師はみんな、そうしてきた。それが、ただひとつの目的だから。 魂の目的だから。

人生のすべては、あなた自身の創造の道具なのだから。そして、出来事のすべては、自分は何者なのかを決定し、その自分になる機会を与えるために存在しているのだから。

最も大きな試練が、最も偉大な勝利になる可能性がある。あなたが生み出す体験は、自分が何者であるか、そして何者になりたいかという宣言なのだから。

善悪についてのあなたがたの考え、それもあなたがたをかたちづくり、創造する思考のひとつだ。その思考を変える理由はひとつしかない。あなたがたが、「そう考えている自分」では幸福ではないときだけだ。

罪というものがあるとすれば、これがそうだろう。他人の体験で自分を創りあげてしまうことだ。 それが、あなたがたが犯してきた「罪」である。ひとりひとりが犯してきた罪だ。 あなたがたは自分で体験するまで待たず、他人の体験を(文字どおり)福音として受け入れ、実際の体験をするときには、すでに知っていると考えていることをなぞる。 そんなことをしなければ、まったく違った体験ができるのに。

自分の価値観に従いなさい。それが役に立つと思うあいだは。ただし、その価値観が役に立っているかどうか、最も気高く、すぐれた考えを体験する場を与えてくれているかどうか、思考と言葉と行動を通じて、点検しなさい。 価値観をひとつずつ検討しなさい。外の光にあててみなさい。世界に向かって、自分が何者か、何を信じているかを、ためらわず、はっきりと言いきれるなら、あなたは幸せだ。この対話をこれ以上続ける理由はないだろう。なぜなら、あなたは自分を──自分のための人生を──創り出していて、改善の必要がないのだから。あなたは完璧に到達した。この本は閉じてよろしい。

あなたが世界で見るものはすべて、あなたの考えの結果だ。

すべての 状況は一時的だ。どんなこともいつまでも同じままではいないし、静止してはいない。どちらの方向へ変わるかはあなたしだいだ。

悟りとは、行くべきところもすべきこともないし、いまの自分以外の何者にもなる必要もないと理解することである。

あなたが言うような天国はどこにもない。どこにもないという意味のnowhereのwとhのあいだをあけてみよう。そうすれば、あなたがたは天国をいま(now)……ここ(here)に見るだろう。

自分が何者だと思うか。そして、何者になりたいと思うか。 これがすべての選択の基準である──これまでも、これからも、すべての人生の選択基準である。

「魂のゲームをしている」とはどういうことか、 はっきりさせよう。それは 精神と身体と魂をあげて、神の姿をかたどり、神に似せて自己を創出するプロセスに没頭することだ。 それが東洋の神秘主義者が述べている自己実現のプロセスである。西欧の神学の大半が集中的にとりあげている救済のプロセスである。

あなたの仕事は、彼らを自立させること、できるだけ早く完全に、あなたなしにやっていきなさいと教えることだ。彼らが生きるためにあなたを必要としている限り、あなたは彼らにとって祝福とはならない。あなたが必要ないと気づいた瞬間に、はじめて祝福ととなる。

〈真のマスター〉とは、生徒がいちばん多い者ではなく、最も多くの〈マスター〉を創り出す者である。 〈真の指導者〉とは、追随者がいちばん多い者ではなく、最も多くの指導者を創り出す者である。 〈真の王者〉とは臣民がいちばん多い者ではなく、最も多くの者に王者らしい尊厳を身につけさせる者である。 〈真の教師〉とは知識がいちばん多い者ではなく、最も多くの者に知識を身につけさせる者である。

平和な精神からは良いアイデアがあふれ出す。そのアイデアで、あなたが抱えていると思っている問題が解決するかもしれない。

人生はつねにあなたの思考の結果だ。 あなたは現在、失業している、自分は失業という状況の犠牲者だと考えている。だが、ほんとうは、もうあなたはその仕事を選択していないのだ。あなたは朝、期待に満ちて目を覚ますのではなく、いやいやながら起きるようになった。仕事が楽しくなくなり、ぐちっぽい気分になりはじめていた。それどころか、何かほかにしたいと夢を見はじめていた。そうしたことが、何の意味ももたないと思うのか? あなたは自分の力を誤解している。忘れないように、あなたの人生はあなたの意図するとおりに進んでいくのだよ。

人間関係の目的はひとつしかない──それは、人生のすべてに言えることだ。目的は、ほんとうの自分は何者であるかを決め、ほんとうの自分になること、それである。

〈マスター〉は、相手が何者で、何をし、何をもち、何を言い、何を欲し、何を要求しているかはどうでもいいことを知っている。相手が何を考え、期待し、計画しているかはどうでもいい。大事なのは、その関係のなかであなたが何者であるかだけである。 最も愛情深い人間とは、最も自己中心的な人間だ。

あなたがたの救済は相手の行動のなかにではなく、あなたがたの反応のなかにある。

愛情ある態度をとるということは、必ずしも相手の好きにさせるということではない。 子供をもった両親はそのことをすぐに悟る。

あなたは、ひとつの関係を続けることが成功だと思っているようだ。人間関係が長続きすれば、うまくいったのだと勘違いしないようにしなさい。地上でのあなたの務めは、どれほど長く人間関係を維持できるかを試すことではなく、ほんとうの自分とは何かを決定し、ほんとうの自分を経験することであるのを忘れてはいけない。

期待は人間関係を損なう。だから、わたしたちが相手に見るものを、相手は自分自身に見る。

あなたは良いことをたずねた。そんな目にあって、どうして続けなければならないのか? どうしてそんな道へ歩み出さなければならないのか? 自己探求と創造の旅に出ることで、何が得られるのか? どこにそんなことをする動機があるのか? どんな理由でするのか? その理由はばかばかしいほど簡単だ。 「ほかにはどうしようもないから」  それは、どういう意味ですか?  つまり、そのゲームしか行われていないからだ。ほかには何もない。あなたにできることはほかには何もない。あなたは残る生涯もずっと、いましていることを続ける。生まれてからずっとしてきたように。問題は、それを意識的にするか、無意識のうちにするかということだけだ。

あなたにとっては、「良い」と判断することは金銭的な価値が低いことになる。 「より良い」こと(より大きな価値のあること)は、もっと金銭的な価値が少ないというわけだ。 そう考えているのは、あなただけではない。あなたがたの社会全体がそう考えている。だから、教師は薄給で、ストリップの踊り子は大金を稼いでいる。指導者たちの報酬はスポーツ選手にくらべればスズメの涙で、その差を埋めるためには汚職をする。聖職者やラビはパンと水で暮らしているのに、タレントたちには金が降るように集まってくる。 考えてごらん。あなたがたは、本質的な価値のあるものは安く手に入るべきだと思っている。たったひとりでエイズの治療法を研究している科学者は資金集めに苦労し、新しいセックスの技巧一〇〇種類について本を書き、ビデオを制作し、週末セミナーを開く女性は……大金持ちになる。 そんなふうにすべてが逆さまになる傾向があるが、それもみんな考え違いのせいだ。 金について、あなたがたは考え違いをしている。あなたがたは金を愛しているのに、金はすべての悪の根源だと言う。金を 崇めているのに、「汚い銭」と呼ぶ。ひとを「汚い金持ち」呼ばわりする。誰かが「良い」ことをして金持ちになると、すぐに疑いをいだく。それは「おかしい」と思う。 だから、医師はあまり儲けないほうがいい。あるいは、儲けても内緒にしておくことを覚えたほうがいい。 聖職者は──さあ、大変だ! 彼女が大金を稼ぐのは絶対に良くない(あなたが、女性聖職者を認めるとして、だが)。必ず困った目にあう。 あなたは、崇高な天職を選んだものは、誰よりも褒賞が低くて当然だと感じている……。

それがあなたには受け入れられない。純粋な奉仕をして「汚い銭」を得るくらいなら、飢えたほうがいいと思っている……あるいは、金をとると奉仕の純粋さが損なわれると感じる。 そこに、金にまつわる矛盾がある。あなたの一部は金を拒否しているのに、一部は金がないことを恨んでいる。それでは、宇宙はどうしていいかわからない。宇宙はあなたから二種類の違った思考を受けとるからだ。そこで、あなたの人生は金に関する限り、一貫性がなくてゆれ動くことになる。あなた自身の金に対する考え方に一貫性がなくてゆれ動いているからだ。

ふつう、ひとの創造方法には、思考、言葉それに行為あるいは行動という三つの段階がある。 第一が思考、創造的な考え、最初の概念だ。そのつぎに言葉がくる。ほとんどの思考はいずれ言葉になり、書かれたり語られたりする。言葉になることで思考にエネルギーが加えられ、世界に押し出されて、ほかのひとたちの目や耳にふれる。 最後に、言葉が行動になり、結果を生むことがある。思考から始まったものが、物理的な世界に出現する。

根になる考え、つまり支えになっている考えをいちばん速く変える方法は、「思考ー言葉ー行為」というプロセスを逆転させることだ。

まず、こうありたいと思う考えにもとづいて行動しなさい。それから、こうありたいと思う考えを言葉にしなさい。それを何度も実行していれば、精神の訓練ができて、新しい考え方ができるようになる。

あなたは、自分がどうしていまのような考え方をするようになったか、わかるのか? 世界があなたの精神を操作して、いまのような考え方をさせているのを知らないのか?  世界に精神を操作されるより、自分で操作するほうが良くはないか?

根となる考えを変えたければ、「考える前」に行動しなければいけない。

たとえば、通りを歩いていて、老女に二五セントくださいと乞われたとする。いくら貧しいといっても、老女に小銭を与えるぐらいはできると、あなたはすぐに気づく。そこで、まず老女に金を与えようという衝動が起こる。ポケットに手を入れてたたんだ札をとり出しかけるかもしれない。一ドルか、あるいは五ドル札さえとり出そうとするかもしれない。そうしたら、老女はどれほど喜ぶだろう。どんなに元気づくだろう。 そこへ、考えが割りこむ。おまえはどうかしているのではないか? 今日の予算として七ドルしかないんだぞ! 老女に五ドルやるつもりか? そこで、あなたは一ドル札がないかなと探しはじめる。 そこへまた考えが割りこむ。おいおい、ひとにくれてやるほど金があるのか! コインをやって、さっさと立ち去ったほうがいいぞ。 あなたは急いで、二五セントのコインがないかとべつのポケットを探ろうとする。だが、五セントや一〇セントしかなさそうだ。あなたは気まずい思いをする。ちゃんとした服装をして、食べるものにも困らないというのに、無一文の老女にたった五セントか一〇セントしかやれないのか。 二五セントがないかと、あなたはあわてて探す。ああ、ポケットの底にひとつあったぞ。ところが、そのときにはもう、きまりの悪そうな笑みを浮かべながら老女の前を通りすぎてしまっている。引き返すには遅すぎる。老女は何ももらえなかった。あなたも何も得られなかった。あなたは豊かさと分かちあいということを知るかわりに、老女と同じくらい貧しい気分になる。

根となっている考えを変えたいと思うなら、新しい考え方に従って行動しなさい。だが、急いで行動しなくてはいけない。そうしないと、気づいたときには精神がじゃまをして新しい考えを殺してしまう。

あなたの魂にとっては、暮らしのために何をするかなどはどうでもいい。人生が終わるとき、あなたもどうでもいいと思うだろう。魂にとっては、どんな行動をするかではなく、その間どんなふうに在るかだけが大切だ。魂が追求しているのは在り方であって、何をしているかではない。

あなたは「暮らしをたてる」ことにかかずらうべきではない。〈真のマスター〉は、暮らしをたてることではなく、生きることを選んだひとたちだ。

人生の皮肉は、世間的な財産と成功に関心がなくなったとたんに、それがふんだんに流れこんでくる道が開けるということだ。

こう考えてごらん。「わたし」という言葉は創造というエンジンをスタートさせるキーだ。「わたし」という言葉は非常に強力だ。宇宙への宣言、命令なのだ。 さて、「わたし」という言葉(これは「偉大なるわたし」を呼び出す)は物理的な現実を生じさせる。 したがって、「わたし」+「成功したい」で、成功したがっているあなたが生まれる。「わたし」+「もっと金が欲しい」で、金を欲しがっているあなたが生まれる。ほかのものは何も生まれない。なぜなら、考えと言葉は創造につながるから。行動も創造につながるから。だから、あなたが成功したいとか金が欲しいと言い、そのように行動すると、あなたの考え、言葉、行動がそろって、あなたは確実に、その「欲しい」という状態を経験する。わかったかな?  そうなんですか、神さま。こりゃ驚いたな──ほんとうにそんな仕組みになっているんですか?

あなたがたは悲しみが好き、ドラマが好きだ。ある段階に達するまでのことだが。発達段階のある時点で、あなたがたはドラマを愛することをやめ、生きてきた「物語」を愛することをやめる。そのとき、あなたがたは、それを変化させようと決心する。変化させたいと思う。だが、どうすれば変化させられるのかわからないひとが多い。あなたはもう知っている。現実を変えるには、いままでのような考え方をやめればいい。 この場合、「成功したい」と考えるかわりに、「わたしは成功している」と考えることだ。  でも、それでは自分を偽ることになります。そんなことを言ったら、自分をからかっているようじゃないですか。わたしの精神は、「ばかを言うんじゃない!」と叫びますよ。  では、あなたが受け入れられる考え方をしなさい。「さあ、いよいよわたしは成功する」とか「すべては成功に導いてくれる」と。  それじゃ、プラス思考というニューエイジの生き方と同じですね。  プラス思考といっても、真実であってほしいと願うのではうまくいかない。うまくいくのは、真実であるとすでに知っていることを宣言する場合だけだ。 プラス思考の最高のかたちは、感謝の言葉だ。「人生で成功させてくれてありがとう、神さま」そういう考え、思いを口にし、それに従って行動すれば、すばらしい結果を生む。結果が欲しいからそう言うのではなく、結果がすでに生じているとほんとうにわかっていて口にするのであればうまくいく。 イエスは、はっきりと知っていた。どの奇跡が起こるときにも、彼は奇跡が起こることを前もってわたしに感謝した。感謝しないでいることなど、彼には考えられなかった。なぜなら、彼が宣言することが起こらないなんて思わなかったからだ。

あなたがたの多くは、この世へ戻ってこようと決意する。現世の自分をどう判断し、どう選択したかをもとに、この高密度で相対的な世界をもう一度経験するチャンスを得ようとする。 また、少数の者は、それとはべつの使命をもって戻る。ほかのひとをこの高密度の相対的な世界から連れ出すためにだけ戻ってくるのだ。地上にはつねに、そういう選択をしたひとたちがいる。そのひとたちは、すぐにわかる。彼らの仕事は完成している。彼らが地上に戻ってきたのは、ほかのひとたちを助けるためだ。それが彼らの喜びなのだ。それが彼らを昂揚させるのだ。彼らは奉仕することだけをめざしている。

» 新装版 神との対話1(著:ニール・ドナルド・ウォルシュ)

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