天才:小卒で「総理大臣」になった男の話【読書レビュー】

この本の概要

高等小学校卒ながら類まれな金銭感覚と人心掌握術を武器に年若くして政界の要職を歴任。ついには日本列島改造論を引っ提げて総理大臣にまで伸し上がった田中角栄。田中の金権政治を批判する急先鋒であった著者が、万感の思いを込めて描く希代の政治家の生涯。

読んでみて思ったこと

田中角栄について書かれた本。小卒で総理大臣になった男。偉業です。僕は政治はわかりません。本を読むときは「人の動かし方」の観点で読みました。面白くて一気に読みました。

なお現代では、このような政治家は居なくなったはず。優秀な人材は「テック系」に進みます。なぜなら社会を動かせるから。政治からテクノロジーにパワーが移動しました。Facebookの利用者数は国家よりも巨大。アルゴリズムを作る企業が世界を制します。ひと昔前の本だと、政治関連の本が面白い。現代の本に関しては、圧倒的に「テック系の本」が面白いです。

» 天才(著者:石原慎太郎)

僕のハイライト

俺が幼いなりに悟ったというか、これからの人生のために体得したことは、何事にも事前のしかけというか根回しのようなものが必要ということだ

その時俺が悟ったのはこの世の中の仕組みなるものについてだった。金も含めて、この世をすべてしきっているのは、大なり小なりお上、役人たちがつくっている縦の仕組みなのだ。ならばそれを自在に使う立場の人間とは一体誰なのだということだった。その時の認識というか、一種の目覚めこそがそれからの俺の出発点となった

俺は兵営内の酒保勤務に回され得難い経験をさせられたものだった。軍隊の酒保の、備蓄の食糧の管理は杜撰なもので、兵隊たちはそれをよく知っていて夜半闇にまぎれて食べ物や酒を盗みにやってくる。張り番をしている俺もそれを察知してその度誰何しては銃剣を突きつけてはみせるが、にやにや笑って大方は見逃してやったものだった。 そんなことで仲間内ではいい人間関係が出来てもいった。つまり人の世の中での賄賂なるものの効用の原理を悟らされたということだ。それはその後の俺の人生の歩みの中で、かなりの効用をもたらしてくれたといえそうだ

ようやく俺自身の仕事を構え、それも何とか軌道に乗り、こうして子供も出来、そしてこれから俺はどうする、何をどこまでやる、その気になればやれる、必ず出来る、してみせる、しなければこの俺ではないという思いで胸が果てしなくふくらみ、自分で自分を抑えられぬほどの将来への野心というか気負いがこみあげてきて、乱暴なほど赤ん坊に頰ずりしてやったものだった

今度こそは他人まかせの選挙ではなしに、選挙区の中に二つ会社の出張所を構え、前回のキャッチフレーズ「若き血の叫び」を掲げて自らの陣頭指揮で選挙区中を走り回った。 演説の内容は裏日本と呼ばれている日本海に面した雪国を表の日本にするために、三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばせば越後に雪は降らない、そしてその土を日本海に運べば佐渡島と陸続きになる、これからは東京から新潟へ出稼ぎに来るようになるという、周りから見れば荒唐無稽な殺し文句だったろうが、俺には昔の体験を踏まえた確信のようなものがあった

それから俺がそんな場で痛感したのは、何か新しい法案について話し合う時、それに関わるだろう国民の立場への斟酌が彼らには全く欠けていることだった。俺はいつもその案件について最低の立場に置かれているだろう国民の立場を考えてものをいってきた

国家の存亡に関わる問題の処理に政治が強く関与するのは当たり前のことではないか。まして大事なことの頼みごとに、立案者の政党の有力幹部に二百万円などというはした金を持参するのは世間では当たり前のことで、挨拶に菓子折を持参するようなものだ

戦国の戦、関ヶ原の戦いなんぞもあんなものだったのだろうな。 調略、はったり、思いがけぬ油断

誰か相手を選ぶ時に大事なことは、所詮人触りの問題なのだ。それについては俺には自信というか確信もあった。そのために俺としては日頃さんざ心遣いをしてきたものだ。特に身近な相手に関わる冠婚葬祭には腐心し手を尽くしてきた。何よりも人間にとって生涯たった一度の死に関する行事である葬式の折には精一杯の義理を果たしてきた。俺に盾ついてのし上がったあの竹下登の父親が死んだ時には、田中軍団の国会議員の総勢を動員して参列させもしたものだ

この若さで総理大臣になった俺への世間の関心はいろいろあったろうが、何かのメディアが載せていたおふくろのフメの言葉が一番身にしみたものだ。おふくろはいっていた。「アニに注文なんてござんせんよ。人さまに迷惑かけちゃならねえ。この気持ちだけだな。これでありゃ、世の中しくじりはござんせん。他人の思惑は関係ねえです。働いて働いて、精一杯やって、それで駄目なら帰ってくればええ。おらは待っとるだ。人さまは人さま、迷惑にならねえことを精一杯はたらくことだ。総理大臣がなんぼ偉かろうが、そなんなこと関係しません。人の恩も忘れちゃならねえ。はい、苦あれば楽あり、楽あれば苦あり、枯れ木に咲いた花はいつまでもねえぞ。みんな定めでございますよ。政治家なんて喜んでくれる人が七分なら、嫌ってくる人も三分はある。それを我慢しなきゃ、人間棺桶に入るまで、いい気になっちゃいけねえだ。でけえことも程々にだ」

列島改造のための金、財源をどこから捻出するのかということだが、これは国家の予算を充実させたとて出来ることでは決してない。そのためにはあくまでも民間のエネルギーが不可欠なのだ。何でもかんでもお上、国家におんぶするという低開発国家の態様ではとても及びはしない。あくまで民間の資金、エネルギーを中心にしてやっていく。政府はそれに利子補給をして財政規模を縮小する方がいいのだ。何でも国がやるという発想は役人の通弊だから、役人が増え、官庁機関が膨れ上がり、役人天国になってしまうのだ

その後、毛は突然右手を頭上に上げて左右にゆっくり振ると、視線を泳がせるようにしながら俺に向かって、「田中先生、日本には四つの敵があります」 突然質してきた。俺は、「こいつまた、くどいな」と心中思った。 というのは、中国を訪れる前の外務省のブリーフィングで何度も聞かされていた言葉だった。四つの敵とは即ち、「アメリカ帝国主義」「ソ連修正主義」そして「日本軍国主義」「日本共産党の宮本修正主義」。これらと戦えと連中はかねてから日本に対して働きかけていたのだ。 ところが毛は右手の指を一本ずつ折りはじめ、まず一本目の親指で「最初の敵はソ連です」と。次いで二本目の人差し指、「アメリカです」。「そしてヨーロッパです」、三本目の中指を曲げた。「最後は」、薬指を曲げると「それは中国です」。 掲げたまま四本の指を曲げた右の手を彼は俺たちには見向きもせずにじいっと見つめていた。まるでそのまま何かの考え事にふけっているようにも見えた。それは何とも摩訶不思議な光景としかいいようのない雰囲気だった。聞かされた俺たち日本人よりも、同席していた周以下の中国人たちの方が呆然というか凍りついたような表情で沈黙しつづけていた。俺は気づかれぬように素早く隣の周の顔をうかがった。彼の顔は青ざめるというより真っ白に見えた

免責証言とは、その証言に関する事実に関しては証言した者の責任は一切問わないとした上での証言なのだ。となれば証言者はその証言を導く者のいいなり、期待通りの話をするに違いない。責任を一切問われないというなら噓でも出まかせでもしゃべるに違いない。そしてそれが裁判では有効な証拠として提示されたのだ。こんな馬鹿な裁判は日本では本来とても成り立ちはしまいに。それは裁判という名を借りての演劇としかいいようがない。彼女はそのために使われた役者の一人ということだ。それを敢えて行わしめたものは何なのか、それは日本から遠く離れたアメリカの地で最初に仕込まれた策略に違いない。つまり俺は彼等に嫌われたのだ。いみじくもあのキッシンジャーがいったデンジャラス・ジャップからアメリカの利益を守るため、誰かにいわせればアメリカという虎の尾を踏みつけた俺を除くために、事を巧みに広く手を回してロッキード・スキャンダルという劇を展開させたのだろう

俺が総理になって初めての参議院選挙に必勝するために俺は画期的な予算を組んで備えていたのだ。各候補に渡す公認料は一人三千万円という画期的なものだったし、それでもまだ弱い候補には俺からの個人的な援助としてそれを上回る金を渡してやったものだ。俺としては選挙に勝つために金に糸目をつけるつもりは毛頭ありはしなかった。それは俺のため、そして党のためでもあり、党の最高責任者としての、俺に課せられた使命でもあった。誰がそれを否定できるというだ

そんな渦中にある俺にとって五億などという金は、尊大ないいようかもしれぬが、俺が調達した膨大な選挙費用の中でははした金ともいえるものだ。迂闊といえば迂闊かもしれないが、それが実感だった。そしてそれがつまずきのもとだったことは今さら否めはしまい

とにかくあの選挙のために俺が集めて使った金の総額はかなり膨大なもので、およそ三百億ほどだったと

俺はあることを悟った思いでもあった。〝ああ、権力というものは所詮水みたいなものなのだ。いくらこの掌で沢山、確かに掬ったと思っても詮のない話で、指と指の間から呆気なく零れて消えていくものなのだな〟

» 天才(著者:石原慎太郎)

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