【読書ログ】はてしない物語【人生は自由であることを再認識できる本】

本書のテーマは「虚無」です。

やつら、希望をなくしちまったのさ。そうなると、おまえたちは弱くなる。虚無はおまえたちをぐいぐい引っぱるのよ。踏みこたえるものは、まずいねえな。

こういった世界観に引き込まれました。まさに現代社会の比喩のようです。あとがきに書かれていた内容も印象的でした。

1968年、東京で開催された子どもの本の世界大会に講演者として招かれた著者のエンデは「なぜ読むのか、なぜ書くのか」に対して、「私が書くのは遊びだ。無目的の遊び、これが現代に最も欠けているもの。私はこれを取り戻したい」という趣旨の講演をした。

エンデのいう遊びとは、暇があるから遊ぶとか、ちょっと片手間に遊ぶというのではなくて、子どもの遊びがそうであるように、意図も目的もない、無心な、それがすべてである行為としての遊びである。だからときに命がけの冒険にもなりかねない。

一枚のメモから書きはじめ、楽しみながら、遊びながら、書きすすめるうちに、出口がどこにあるのか、ぜんぜん知りませんでした。一度ならず絶望的になりました。あの物語は私にとって命をかけた戦いでした。

この本と起業家の言葉がリンクしました。下記に引用します。

You are playing a game of which only you are the player. Everybody else is an interloper. And you have a responsibility designed the gameplay.

あなたは「自分だけがプレイヤーである世界」にいる。他の全員は別プレイヤーです。あなたは別プレイヤーを楽しませるゲーム設計をするだけです。

本記事はレビューというか、僕の思考メモです。記事は以上です。

またバスチアンに変化が起こっていた。月の子と出会って以来かれに授けられたさまざまの能力のうえに、勇気が加わった。そして毎回そうであったように、今度もそれに代わってあるものが取り去られた。自分がかつては臆病だったことについての記憶がすっかりなくなったのだった。→メモ:まるで自分。昔より大幅に成長したけど忘れてる。

幼ごころの君は、ただ存在するだけだった。けれども、それが特別のことだった。幼ごころの君は、ファンタージエン国のあらゆる命の中心だった。すべての生きもの、善なるものも悪なるものも、美しいものも醜いものも、おどけものもまじめなものも、おろかなものも賢いものも、すべてみな、この幼ごころの君が存在してこその命だった。この君なしには、何一つ存在しえないのだった。それは、人間の体が心臓なしにはありえないのと同じだった。

大事なのは、ここに書かれているのが、心の向くままに何をしてもよいという許し、いや、そうせよという強いすすめをさえ意味しているということだった。

バスチアンは色鮮やかにからみあう植物の壁に、どこかぬけでられる箇所がないかさがしてみようと、近よっていった。ところがその壁は、カーテンのようにいとも簡単にたぐりよせることができた。バスチアンは大いに満足して、そこから出ていった。

バスチアンはこの光のドームの森を散歩しながら、地面に萌えでた輝く芽をふまないよう気をつけたが、まもなくそれは無理だとわかった。もう足のふみ場もなく一面に芽が萌えでていた。そこで、気にせずに巨大な幹の間のまだ残っているところを、どんどん進むことにした。バスチアンは自分が美しいのがうれしくてならなかった。賞めてくれる人が一人もいないことも、問題ではなかった。むしろ、まったく一人でたのしめるのがうれしかった。これまで自分をあざけっていたものたちの賞讃など、今となってはどうでもよいことだった。あの連中のことを思うと、気の毒な気さえした。

もうどのくらい歩きまわっているのか、わからなかった。だがいつのまにか、自分が美しいというよろこびは少しずつ変わりはじめていた。それがあたりまえになってきたのだ。幸せな気持が少なくなったのではない。ただ、それ以外の自分などもともとなかったように思いはじめたのだ。

つまり、望んでかなえられた美しさの代償として、かつてはでぶでエックス脚だったことをしだいに忘れていったのだった。

この忘れるということは、全然気づかれずにじわじわと進んだ。そして記憶が完全に消えてしまうと、バスチアンは自分が以前からずっと今のようだったと思い、まさにそのせいで美しくなりたいという望みはなくなっていた。

そういう状態になるかならないかのうちに、バスチアンは早くも何かものたりない気持になり、新たな望みが頭をもたげるのを感じた。美しいだけではだめだ!バスチアンは強くなりたかった。だれよりも力のあるもの、およそ考えられるかぎり、一番の力持になりたい!→ メモ:欲望が発動するプロセス。ビジネスを伸ばすことを止めようと思う。

今、わたくしにはわかりました。わたくしの死が生をうみだし、わたくしの生が死をもたらす、そして両方ともそれで善いのです。わたくしの存在の意義が、これでわかりました。あなたさまのおかげです。

これは、どういう意味だろう?『汝の欲することをなせ』というのは、ぼくがしたいことはなんでもしていいっていうことなんだろう、ね?」

それは、あなたさまが真に欲することをすべきだということです。あなたさまの真の意志を持てということです。

「わが師、わが君、エルフェンバイン塔へのご入城はいつになさいますの?」「わからない。」バスチアンはクッションに顔を埋めたままいった。「月の子がいないというのに、いってもしようがない。どうすればいいのか、もう全然わからない。」「エルフェンバイン塔にお入りになって、あそこで幼ごころの君をお待ちになることもできますわ。」バスチアンはサイーデの方に向き直ってたずねた。「月の子はもどってこられると思うのか?」バスチアンはつづけてもう一度、同じ質問をくりかえし、サイーデに返事を迫った。サイーデはためらいながら答えた。「ほんとうはわたくし、そう思わないのです。幼ごころの君は、もうすっかりファンタージエンから立ち去ってしまわれて、わが君さまがそのあとをお継ぎになるということではないでしょうか?」バスチアンはゆっくりと体を起こした。そして、サイーデの二色の目を長い間見つめるうちに、ようやくサイーデのいいたいことがわかった。「わたしがだって?」バスチアンの口からことばがついて出た。頰にぽっと赤みがさした。「どうしてそんなにびっくりなさるのでございます?」サイーデはささやいた。「幼ごころの君は、ご自分の全権のしるしをわが君さまにお与えになったではありませんか。幼ごころの君は、ご自分の国をわが君さまにお任せになったのです。今や、わが君さまが、帝王幼ごころの君におなりになるのです。これはわが君さまの当然の権利ですわ。わが君さまはファンタージエンにおいでになってこの国を救ってくださったばかりでなく、この国をおつくりになったのではありませんか!わたくしどもはみんな、もちろんわたくし自身も、わが君さまがおつくりくださったものにすぎないのです!わが君さまは、大いなる知者。… 以下は略。メモ:素晴らしいセールスライティング。


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